「神に立ち帰った息子」   08.07.27
                   ルカ15:11〜32
                    朝位憲義神学生

 兄は父親に言った。「このとおり、わたしは何年もお父さんに
仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。
 それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊

一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたの
あの息子が、帰ってくると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」
 すると父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
 わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は
死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。
 祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
 放蕩息子の譬の記事は失われたものが神に立ち帰る喜びを
神様が現代の私たちに語りかけてくださっています。後半になって
兄息子が登場してきます。兄息子は弟息子とは違い父に忠実な
僕として父の下で働いておりました。兄にとってはその仕事が、
生活がとても喜びに満ち溢れていたのではないでしょうか。
 しかし、状況は一変します。
 放蕩の限りを尽くした弟が突然、帰って来たのです。
 父は弟を無条件に赦し、盛大な歓迎の宴を開いたのです。
 兄には父の愛や赦しが理解できずに我を忘れて怒りました。
 兄は弟が帰って来たことにより父の下にいる喜びや恵みが
わからなくなりました。
 父(神)と一緒にいる喜び、私たちも教会の中にいる時に
神様の恵みの中に入れられている喜びを忘れてしまい、自分の
心の中にある罪を優先させてしまい隣人を裁いてしまっている
ことがあるのではないでしょうか。
 神様の恵みの中にいるのに自分でも気づかないうちに
神様の御心から離れてしまっている私たちに対して、
神様はこの放蕩息子の兄の姿を通して神様のもとに
再び立ち帰るように呼びかけてくださっているのでは、
ないでしょうか。
 神様のもとに立ち帰ることは、日々の悔い改めを
することなのです。